「持家不要」論を考える。

 経済評論家の上念司氏が「家やマンションを買ってはいけない」と主張しています。不動産を生業としている私たちにとっては由々しき発言だ、と思いながら続きを読みました。
 上念司氏は「買ってはいけないモノ」として、まず「家やマンション」次に「自動車」で三番目に「時計」を上げています。なぜかというと、家は既に世帯数を上回り、日本では過剰となっていて、空き家率が全国平均で13%に達しているから、買うよりも処分する方が大変な時代になる、というのです。
 (自家用)自動車は平均稼働率が極め低く、週末に乗る程度でしかないから維持・管理費を考えればレンタカーの方が安くつく、という説明でした。しかしそれは鉄路が網の目のように張り巡らされ、乗り遅れても2分と経たないうちに次の電車が来る大都会での話に限定されるのではないかと思えます。(腕)時計は確かに携帯やスマホで充分に代替できるし、街中にも時計表示は随所に溢れています。
 さて、最初の「家やマンションを買ってはいけない」論を掘り下げてみれば、上念氏は「家は年齢や家族構成で必要とする形態が異なる、だから賃貸で生活して、人生のステージで必要とする家を選んで転居する方が合理的だ」として「家やマンションは資産ではなく、生き方を限定する負債でしかない」という論を展開されています。
 確かに子育て期はある程度部屋数のある広い家屋が必要です。しかし子供たちが巣立って夫婦二人になれば、それほど広い家は必要ない、という論理展開には納得させられるものがあります。しかも少子化で「家余り」現象が全国的に起きている昨今、むしろ家を畳んで解体処分する必要性が高まっているのも事実でしょう。だが「家やマンション」は「自家用車」や「腕時計」と異なって、「持家」か「賃貸」かを問わず人としての暮らしに「家」は必要です。家がなければホームレスとして街を彷徨うしかなくなり、人としての社会性を否定されかねません。
 人により「持家」派と「賃貸」派とに分かれるとしても、いずれも棲家を必要としていることに変わりなく、上念氏は「持家不要」論で不動産業者がこの世からなくなると言っているのではない、と安堵して筆を置きます。

2018年09月11日