不動産業界のamazonかと騒がれている会社があります。その名はOYO LIFE(オヨ ライフ)です。日本では今年一月現在で首都圏を中心に賃貸物件1000件を抱えるほど急成長していますが、まだ一般的には馴染みが薄いようです。そもそもインドの不動産会社OYOが日本でOYO
LIFEを立ち上げて、新規不動産事業を展開している日本事業会社というべきものです。その特徴は賃貸事業の面倒な手続きをなくして「不動産事業の電子化」や「敷金・礼金・仲介手数料・ゼロ」などといった不動産業界の常識破りの事業展開にあります。OYO
LIFEの経営者は勝瀬CEOとのことです。
不動産業界は宅建業法で契約等で厳格な規定が定められていて、ペーパー・レス化が最も遅れている業界だといわれています。不動産賃貸でもホテルを予約するように電話だけで入居や退去ができるなら素晴らしい、と思う人も少なくないようで、首都圏などで破竹の勢いで賃貸物件の数を増やしているようです。今年一月現在で抱える賃貸物件は1000を超えているといいます。勝瀬CEOは今後益々「不動産業界のIT化を画期的に促進する」と意気込んでいます。もちろんWebサイト上で入居したい住宅や部屋を選び、保証人不要、保険や光熱費などの手続きなどもすべてOYO
LIFEが行うということだそうです。
ではどんな経営をしているのかというと、OYO LIFEの事業手法はレオパレス21などのアパート建設と不動産管理を併せて行う「サブリース契約」を取り入れて、オーナーから丸ごと借りて管理会社が貸し出す手法でペーパー・レス化を実現しているようです。
つまり2017年10月から貸主は「重要事項説明書」をテレビ電話などで説明すれば書面で交付する必要がなくなったことを受けて、OYO LIFEがオーナーと賃貸契約を締結した物件をOYO
LIFEが貸し出すから「重説」は対面で説明する必要竿゛ないという理屈のようです。たださすがに契約書は書面を交付しなければなりませんから完全なペーパ・レス化を実現したわけではないようです。
しかしOYO LIFEが展開する「サブリース」契約の賃貸マンションは家電や家具が備え付けられていて、身一つで転居が可能となっています。その代わり家賃は付近の賃貸相場より少し高めに設定してあり、勝瀬CEOは「18ヶ月まではOYO
LIFEのマンションに住んだ方がお得な家賃設定」してあるとのことのようです。つまりイニシャルコストをなくした分をランニングコストで回収するビジネス・モデルのようです。ただ条件として最低でも30日以上は住んで頂くこと、そして90日を超える場合は再契約の必要があるとのことです。それは30日未満では賃貸住宅とみなされず旅館業法に抵触する恐れがあるからです。そして90日を超える場合は「法律上一時使用目的の建物賃貸借」と認定されない恐れがあるからです。
OYO LIFEにより完全なペーパー・レス化が不動産業界で実現できたわけではありませんが、インドのOYO本社はソフトバンク・ビジョン・ファンドから10億ドルの資金を調達していて、日本での事業展開で初期投資や当座の運転資金に困ることはないようです。ペーパー・レス化という不動産業界の常識に挑むOYO
LIFEは果たして不動金業界の黒船になるのでしょうか。それにしても借り手が反社会的な人ではないが、あるいは居場所を転々と移す「オレオレ詐欺」などの犯罪組織でないかなどを、どのようにして見分けるのか疑問が残ります。ホテル事業者が賃貸不動産業者へ近づいた「ウィークリー・マンション」に対して、不動産業者がホテル業者に近づいたOYO
LIFE方式と、今後どうなるのか興味のあるところです。ちなみにOYO LIFEのキャッチ・コピーは「旅するように暮らそう」だそうです。
ブログ一覧
2019年住みやすさランキング
例年通り「都用経済新報」より、全国住みやすさランキングが発表されました。全国トップ50までで中・四国から入ったのは前年より8位アップし22位となった下松市だけでした。
なぜ下松市が躍進したのでしょうか。その大きな要因は今年から「住みやすさ」に公共料金の水道料が加味されることとなったからのようです。指摘するまでもなく、下松市は全国的に見ても水道料金は山口県下でも岩国市に次いで安い方です。そのため全国ランクで暮らしやすさがUPしたようです。
全体的に見て、トップ50入りした自治体で目立つのは石川県の躍進です。どうやら東北新幹線が開通して、金沢や能登などが東京から気軽に行けるようになったことが利便性のUPとしてカウントされたようです。
ただ周辺近隣自治体を見てみると光市が181位で、周南市に到っては486位と全体812市区の半分以下と厳しい評価が与えられています。
周南市がなぜそうした低い評価になるのか、周南市民は胸に手を当てて考えてみる必要がありはしないでしょうか。駅ビル図書館などの「アメニティー」などは他の市区から見ればとりたてて掲げる必要もない、当然の施設なのかも知れません。それよりも市全域全体の「住みやすさ」こそが重要なのではないでしょうか。
その「住みやすさ」を評価する簡単な指標は人口で見られます。下松市は人口減ではなく、人工微増市だということからも「住みやすさ」が客観的に見て取れます。
反対に、周南市は合併後10年で人口17万人を見込んでいたものが、反対に15万人から減少していることからも「住みやすさ」で486位に甘んじている「客観性」があるのではないでしょうか。ハコモノ行政に重きを置き過ぎ、中心市街地にばかり特化した行政資本の投下に片寄った市政を、行政当局や市議会は真剣に自省する必要があるのではないでしょうか。市当局の自己満足だけで「住みやすさ」は決して手に入らいことは「住みやすさランキング」が示唆しています。
マンションは廃墟になる。
マンションのみならず、すべて形あるものは「空」に帰す、とは般若心経に説かれています。マンションであろうと一戸建てであろうと「形」あるものは永遠ではないのは自然の摂理です。いつかは老朽化して手を入れざるを得なくなります。
しかし住宅評論家の榊淳司氏は「すべてのマンションは廃墟になる」との著書を著して、ことさらマンションに限定して警告しているのはなぜでしょうか。榊氏には「絶対にタワーマンションを買ってはならない」との著述もあります。それほどまでに榊氏が「コンクリート集合住宅」を忌み嫌う理由は何でしょうか。
まず榊氏がマンションは必ず廃墟になる、と論述している根拠はマンションを構築している構造体の「鉄筋コンクリート」あるいは「鉄骨コンクリート」という建築素材を論拠に上げています。つまり鉄は必ず錆びて永遠に家屋を支える素材ではない、というのようです。材木を組み合わせた戸建ての日本古民家が百年の星霜を超えて建ち続けるのとは根本的に異なる、というのです。
マンションの耐用年数が50年だとすると、新築マンションは一年毎に2%減価することになります。そして建築後50年を経過時点で耐用年数が尽きて「取り壊し」て「建て替える」ということになります。マンションの問題はまさに「取り壊し」と「建て替え」にあるようです。
従来は入居者全員の同意が必要でしたが、現在では幸運にも居住者の4/5以上の賛成を得て「解体撤去」が出来るようになりました。しかし幸運にも「解体撤去」が決まったとしても、一戸当たり平均500万円の「取り壊し費用負担」が重くのしかかってきます。
しかも取り壊した後に残る「資産」はマンション敷地の土地の「区分所有部分」でしかありません。これまで暮らしてきたマンションで専有していた面積には遠く及ばない僅かな「土地」が「資産」として残っているだけです。若いころにマンションを購入したとしても、建て替えが必要になる頃には居住者はリタイアした高齢になっています。
建替え積立金をマンション管理組合で積み立てていればまだしも、管理組合の積立金が修繕費にすら足らないマンションがほとんどで、築後30年が目途とされる大規模修繕すらままならないマンションが殆どです。つまり減価を終えたマンションは次の新築を目指して老朽化したマンションの解体撤去を行い、次にマンションを新築しなければ「持ち家」は減価とともに消え去ることになります。
更に悲劇的なのがかつてのように容積率緩和で建増しされる部屋数を売却して従来からの入居者が低廉な価格で新築マンションに帰還できる、という「夢のような話」も現在のマンションは緩和された容積率いっぱいに建てられているため、将来にそうした「夢」を託すことも出来ない現実が追い打ちを掛けます。
だから将来老朽化したマンションは見捨てられ廃墟になる、というのが榊氏の結論のようです。さて、皆様はいかがお考えでしょうか。
「家を買うな」と主張する評論家たち
テレビなとで活躍している人気経済評論家の上念司氏は「家とマンションは買うな」との持論を展開しているようです。同じく経済評論家の森永卓郎氏も「この先不動産と株価が下落する」と不動産業者にとって不吉な予言をしています。
その反面、賃貸住宅の高齢者の多くが行き場を失って生活困窮者に転落している厳しい現実もあるようです。ことに未婚率が高くなり独身のまま高齢化した場合が困難な状況に追い込まれるようです。それは賃貸住宅に居住している人がそのまま定年を迎えると収入減となり、現役時代から暮らしている賃貸住宅に入居し続けるのが困難になる反面、新たに賃貸住宅に入居するには「保証人」や「保証制度」を利用するにしても、なかなか「保証人」を見つけづらくなり、「保証制度」を利用するにしても審査基準が厳しくなる現実がありようです。また貸す方からしても独居老人に貸すのを嫌がる傾向が強いのも事実です。
そうした状況を踏まえて、2017年10月に国交省が「住宅セーフティネット法」を改正して、家賃補助や改修工事への補助と引き換えに、所得の少ない人や高齢者などの「住宅確保要配慮者」の入居を断らない、を優先的に入居させる賃貸住宅を「セーフティーネット住宅」として登録させる制度を創設しました。目標は「2020年度に15万5000戸」だそうですが、それに対して制度開始から半年経った時点で登録された賃貸住宅は600戸余りと目標達成率0.4%と厳しい状況です。ことに東京都では登録戸数ゼロということで、民間賃貸住宅市場が貸し手市場の場合はなかなか難しいようです。
国交省は将来的には「セーフティーネット住宅50万戸」を見込んでいるようですが、抜本的な改善策を立てない限り達成は困難なようです。今後生涯未婚率が上昇する分も見込めば、東京都だけで70万戸近い高齢者借家制多数が増えると予測され、高齢者の自宅難民が続出すると思われています。
投資の観点から上念氏や森永氏は「持ち家は割に合わない」と主張しているのですが、一般の人にとって家の購入は投資目的ではなく「生活の場の確保」をするためのものです。ことに高齢者が「生活の場」を失えば現役世代よりも所得が低いため、ホームレス生活に転落する可能性が高いと思われます。そのためUR(独立行政法人都市再生機構)では民間と異なり国籍不問や職業不問と「入居基準」を低くしています。その上保証人、礼金、仲介手数料、更新料などの「4なし」を売り物とし入居審査も比較的緩くしているようです。しかしそうした「入居基準」の引き下げはURそのものの治安や住環境の悪化につながるとともに、そもそもURの団地は家族向けのものが多く、一戸当たりの専有床面積も広く家賃も広く設定されています。従って、独居老人にとってはUR入居は割高感が強いようです。
つまり定年を過ぎても賃貸住宅に住めるのは定年後も十分な所得のある高齢者に限られる、ということです。「家を買うな」と主張する経済評論家たちは定年後も所得の下がる心配のない売れっ子評論家か、「家」を投資としてみる評論家の「極論」でしかない、というしかありません。平均的な人生では庭付き一戸建てを手に入れることが「上がり」とする「住宅すごろく」はいつの時代でも変わりないようです。
「古民家」考
テレビなどで取り上げられる「古民家」が地方にゴロゴロ転がっているわけではありません。風格のある年代物の古民家は素晴らしいが、殆どの「中古住宅」はただ単に古い家屋に過ぎないというのが現実です。つまり築後50年経とうが「古民家」でない「中古住宅」は古いだけで格別に魅力があるわけではないのです。
長らく仲介 物 件として預かっていた「中古住宅」にやっと買い手が付いた。それも売値を下げに下げて、殆どタダ同然だが、そのことを電話で告げると依頼者は売れたことで一安心していました。
なぜ「一安心」なのでしょうか。それは単に解体費用を掛けないで済んだからです。大きな母屋と農機具倉庫。それに離れまで建っているから解体業者に頼めば数百万円かかる。その費用を考えるだけで頭痛の種だったそうです。
「中古住宅」は兄の住居だったという。その兄夫婦は子宝に恵まれず、夫婦ともに病死した。相続した弟も遠隔地の島根県に暮らし、胆石を患って今年一月には手術して胆石を取り出し、長く病床に臥していたそうだ。
中古住宅は兄夫婦が建ててから50年も経過しているが、古民家というほど巨大な梁や三尺の大黒柱などを用いた家屋ではありません。もちろん囲炉裏を焚いた家屋でないため、黒煤の風格もない。プレハブでない、というだけの平凡な中古住宅。
買い手は敷地の広さに目を付けたようだ。土建業を営むという買い手は広い庭に重機などを置くという。家屋は盗まれ易い発電機や転圧器などを収納するという。つまり「倉庫」代わりに使うという。
だが、それで「中古住宅」が「廃屋」にならずに済んだ。人が棲まなくなり「廃屋」になれば10年と経たずして家屋は朽ち果てる。地域に迷惑をかける前に大枚をはたいて解体しなければならなかった。そうした運命を辿らないで済んだことに弟は「良かった」と、買い手が付いたことに安堵した。それが地方都市の周辺部、田舎の日常風景なのです。
相続税の不動産関係の主な改正点。
平成01年度の相続税の改正で不動産に関する主なものをお知らせまでに。
夫が死亡した際の妻の取り分は、子がいる場合は遺産全体の2分の1と、民法で決められています。配偶者が残した相続財産が家と土地が中心だと、自宅を処分し売却金額の半分を受け取るという仕組みです。今までの自宅に住めなくなる不条理がありました。思い出の詰まった住宅を手放すことには、法律には沿った措置とはいえ、決して好ましい制度とは思えません。
これを解決するため、改正相続法では「配偶者居住権」が創設されました。これは住宅の所有権と居住権を分離し、故人の配偶者が所有権を持たなくても自宅に住み続けることを保障する仕組みです。
居住できる期間は、遺言や遺産分割協議をもとに決められます。この居住権の評価額は、配偶者の平均余命などをもとに決められますが、高齢になるほど評価金額は低くなり、相続財産が多くなる仕組みになります。
ただし、所有権に比べると居住権のほうが弱いため、居住権登記の手続きをすることで、権利を確保する必要があります。この登記により、子などが所有権を一部は持っているため、所有権を他人に売却されることで、実際に住んでいる家からの退去という事態を防ぐことができます。
配偶者の権利が認められるもう1つの改正は、婚姻期間が20年以上あれば、夫婦間で贈与された自宅は、遺産分割の対象から除外する仕組みです。自宅は残された配偶者のものとなり、遺産分割の対象から外され、それ以外の遺産を相続人同士が法律に沿って分割します。高齢の配偶者の安定した生活を支援することが目的です。
この他にも相続で実態に即した改善が見られます。たとえば親と同居していた長男の妻が介護で苦労したとしても、夫の取り分としては評価されても、相続人ではないため彼女自身の貢献度は評価されませんでした。今回の改正により、相続権はありませんが「特別寄与料」という制度が創設され保護されます。
相続が発生した時点で、介護の貢献度に応じて相続人に対し請求できます。法律上の相続権がない人でも、特別寄与料の請求が法的に認められます。ただし親族以外の第三者が介護に協力したとしても、この特別寄与料は認められません。ますます深刻化する介護問題へ、1つの指針が示されたことになります。
特別寄与料の請求先は義理の兄弟姉妹になるため、現実的にはかなり大変です。合意できないときには、家庭裁判所が提示している算式が参考になります。家庭裁判所での寄与分の算定は、1日当たり8000円程度を目安に介護した期間を掛けて算定しています。
ただし相続財産の多寡により、特別寄与料も変わることが予想されます。実際の額は200~500万円程度が目安となるかもしれません。相続財産が少ない場合は、現実には100万円以下となり、家庭裁判所の基準に沿った受取額になるのは難しいケースも出てきそうです。
他にも「遺留分を正当な権利として保障」などの規定も改正されました。詳しくは税務署なり税理士にご相談されることをお勧めします。
不動産相続にも「時効」の適用を。
全国で問題となっている「所有者不明土地」をめぐり、法務省は11日、所有者が判明しない場合でも、裁判所の手続きを経て、土地の売却を可能とすることなどを盛り込んだ対策の骨子案を公表した。
所有者の氏名や住所が正しく記載されていない「変則型登記」の解消が狙い。同日から実施する意見公募(パブリックコメント)を踏まえ、通常国会に関連法案を提出する方針だ。(以上「時事通信1/11日付記事」より引用)
先月のブログで「不動産登記法の改善を望む」と題して、不動産相続に関して所有権移転登記されない不動産の問題を投稿したばかりで、新年早々に「所有者不明土地」に関して前進することになり法務省の動きを心から歓迎します。
実際に「所有者不明土地」は登記簿上に記載されているの所有者が既に死亡し、そして相続登記されないままかなりの年数が経過している場合にありがちです。所有者を確定するために戸籍などから相続人を捜しても該当者が見当たらず、従って取引も出来ないまま放置されている土地は山番地などに多く見られます。
そうした「所有者不明土地」に関して、法務省は裁判所の手続きを経て土地売却が可能になる対策法案を通常国会に提出するという。まさしく朗報というべきですが、それなら所有者の死亡後に一定期間所有権移転登記されない土地に関して、一定の要件を備えている申立人を裁判所は「相続人」と認定する法案も提起して頂きたいと思います。
「所有者不明土地」に関しても、おそらく時効と同様な観点から、たとえ後に相続人と名乗り出る者があったとしても「権利の上に眠る者は保護されない」との時効の考え方を適用すべきではないでしょうか。たとえば「相続移転登記」されないまま相当の年数(10年程度か)を経過した不動産に関しては、実際に当該不動産の固定資産税を支払っているなどの実態があれば「所有権移転の申し立て」を裁判所に行い、判決を以て「所有権移転」が認められる、という法律が制定されるなら、全国にゴマンとある所有権が相続人に移転されないまま放置されている不動産が売買可能になります。
地方の不動産価格は驚くほど低いため、登記簿上の所有者が死亡していて、相続移転がなされないまま放置されている土地の売買を手がけるには費用が土地売却金額と見合わないケースがほとんどです。現在ではすべての相続人から「相続放棄」なり「相続分登記」を行った上でしか所有権移転できないため、すべての相続人の同意なり印鑑なりを揃える費用が嵩張るのを理由に、土地売買を諦める場合が多いのが現実です。そのため土地の有効利用が妨げられたまま放置され、さらに荒廃を招く事態になりかねません。そうしたことを解消するためにも「権利の上に眠る者は保護されない」という時効の考え方を適用ずべきではないでしょうか。
不動産登記法の改善を望む
不動産を生業としている者は仕事上、不動産登記とは切っても切れない関係にあります。その不動産登記に関して以前「所有権」が現実の所有者と異なる場合があることに関してブログに書きました。その最大の原因は所有権者が死亡した後も、相続人に所有権の移転登記がなされないケースがあるからです。ことに地方の土地価格が安い地域の土地・家屋に関してそうした所有権の移転登記を放置する場合が多いようです。
登記簿に現実の所有権者が登記されていない不具合を政府も認めて、登記簿の所有権者と現実の所有者とが合致するように法改正を行う方向で検討を始めたようです。
所有権者もそうですが、登記簿には登記すべき「権利」が他にもあります。それらは用益権と呼ばれるものと担保権と呼ばれるものとの二種類あります。
<用益権>
これらは、他人の不動産を使用収益する権利のことで、登記できるものに以下のものがあります。
地上権・・他人の土地などを建物を建てたり、竹木を所有したりできる権利のこと。
地役権・・袋路の土地から道路に出るなど有効活用のため、他人の土地を利用できる権利。
永小作権・・他人の土地を利用して耕作などをする権利。
賃借権・・賃借人が他人の不動産を使用収益できる権利。
採石権・・契約によって、他人の土地などから岩石を採取できる権利。
<担保権>
不動産を担保にしてお金の借り入れをしている場合にその不動産に設定される権利のことで、以下のものがあります。不動産の登記簿をみることでその不動産に抵当権などの担保権が付いているかどうか分かるのです。
抵当権・・債権者が債務者から担保として不動産に登記し、他の債権者に優先して自分の債権弁済を受けられる権利。
先取特権・・法律で定めるある一定の債権者が他の債権者に優先して弁済を受けることが出来る権利。
質権・・債権者が債務の担保として、質に取ったものを占有できる権利。
このように、登記できる権利は「所有権」の他にも様々なものがあります。これらの権利に関しても権利者と現実の権利者とが一致している必要があります。特に「用益権」に関しては権利者が死亡した場合に相続人すべてが同意しなければ「用益権」が消滅しないため、土地売買で大きな障害になるケースがあります。「担保権」でも抵当権の一種の「所有権移転の仮登記」には時効がないため、いつまで経っても「時効消滅」にならない不都合が生じる場合があります。こうした現実と乖離しやすい「権利」の登記に関して、第三者への対抗要件が権利者の「権利」を護るために登記するのであれば「主張なき権利者の権利は守られない」という法原則に基づき他の債権等の「権利」と同様に時効が適用されて然るべきだと思います。登記簿上に記載される所有権に関してやっと現実と登記簿上の乖離を解消する動きが出て来たことを歓迎するとともに、さらにもう一歩進めて他の用益権や担保権など登記簿に記載される「権利」に関しても現実に即した法改正が行われることを期待します。
不動産が「負」動産になる
昨日も築50年余の民家の処分を依頼された。田舎の敷地200坪に建つ一軒家はいわゆる「古民家」ではない、古ぼけた老朽家屋でした。農家だったため長屋や米穀倉庫などもあり、なかなかの壮観としかいいようがありません。
しかし売却するとなると「家」は余分となります。更地ならそれなりに買い手はつくかもしれませんが、値段は坪単価一万円が良いとこでしょう。そうすると敷地に建っている家屋を解体撤去するだけで「足」が出かねません。しかし、こうした不動産ではなく負動産が田舎にはゴロゴロしているのが現実です。
団塊の世代はやっと70才になったところでまだまだ元気です。団塊世代の子供たちがこうした問題に直面するのは後十年後でしょうが、その前世代の子供たちが負動産問題に直面しています。彼らも高度経済成長時代に成年に達して、就職で都会へ出て行ったまま帰らないため田舎は限界集落だらけです。
それでも古い田舎造りの家屋なら「古民家」として梁や柱を生かして改築し、蕎麦屋や雑炊屋として店開きしているケースも見受けられますが、戦後のプレハブ住宅なら手の着けようがありません。
だから現況有姿で「買い手価格」で売ってはどうかと勧めるしかないのですが、そうすると相続した子供たちが憤慨します。生まれ育った家を「そんな捨て値」で売るわけにはいかない、という感情も理解できます。中には「バカにするな」と怒る人さえいますが、しかしそれが田舎の老朽家屋の現実なのです。
人が住まなくなると家屋はアッという間に「廃屋」化します。時には野生動物が入り込んで荒らしたりします。そして廃屋であろうと、解体撤去に要する費用は変わらりません。なぜなら昔のように「野焼き」が出来ないため、廃屋も解体して金属と材木を分別して産廃処分場に持ち込むしかないからです。
それが嫌なら都会暮らしに見切りをつけて、両親の暮らしていた田舎へ帰郷することをお勧めします。不動産を負動産にしないためにはそれしかないのですから。
不動産業者と「消費増税」
土地売買に消費税はかかりません。そもそも土地は「消費」して消えてなくなるものではないからです。そういう意味では土地売買だけをしている不動産業者は消費増税だと無縁と思われがちですが、事実は大いに関係があります。なぜなら土地購入は「家」を建てるために購入するからです。実際に消費増税は不動産業者にとって手痛い影響があります。
2014年の消費増税8%の時も影響は甚大でした。なにしろ「家」は高額な商品ですから家の価格が2,000万円なら税率が1%でも税額が20万円になります。それが3%も上がったのですから新築契約を結ぶお客様は60万円もの負担増ということになります。前回の消費増税で日本経済は落ち込み、GSPは前年比マイナスを記録しました。
そこで今回は消費増税の影響を少なくするために、値の張る自動車や「家」に関して増税緩和策をどうするなと政府は腐心しているようです。しかし最も良い政策は消費増税しないことです。
不動産業者の感覚からいえば、税収増を図るにはまずデフレ経済からの脱却に全力を注ぎ、日本経済を力強く成長させることが最善策ではないかと思います。
高度経済成長期のように7%経済成長とはいわないまでも、数%ほど経済成長すれば成長に伴う物価上昇、つまりインフレになります。インフレ率が2,3%でれば1000兆円を超えた国債は実質的に20~30兆円も償還されたことになります。
デフレ化経済は不動産業者にとって過酷です。なぜならデフレ経済は実質的に貨幣価値が上がり、貨幣価値が上がることにより実質的に借金が増えるからです。そのため長期ローンを前提とする不動産市場が冷え込むのです。
私たち不動産業者のためにも確かな経済成長政策が心から待たれます。消費増税には反対ですが、走り出したら止まらないのが「政府」のようです。何とかならないものでしょうか。
廃墟と化すマンション
以前このブログで修繕積立金の不足でマンションが定期的な修繕ができなくなり、老朽化するのではないかと警鐘を鳴らしました。しかし現実は私の想像を超えてもっと悲惨なことになっているようです。
普通マンションは新築から15年経てば外壁の補修が必要になり、三十年後にはエレベーターや上・下水の配管などの取り換えが必要になるようです。そうした修繕などがマンション購入者が管理組合に毎月積み立てた修繕積立金で賄えたとして(中には修繕積立金がマトモに全入居者が積み立ててないため修繕すら出来ないマンションもあるようです)もあるようです。
しかしマンションが抱える最も問題は「建て替え」です。マンション(鉄筋コンクリート造の建物)の法定耐用年数は、1998年の税制改正によって47年と定められていますが、もちろん法定耐用年数(減価償却により現存価格が取得費の10%になる年数)がマンションの居住限界とはいえませんが、おおむね50年ないし60年でマンションは取り壊されているようです。
ただ1981年を境に建築基準が変わり、旧耐震基準と新耐震基準ということになり(壁式工法除く)、1981年以前のマンションでは、コンクリートの性能から鉄筋の量、施工法などが異なっているため、大きな地震に対する耐力が現行基準の建物に比べると残念ながら低いといわざるを得ません。
耐震構造を施して補強すれば耐震性がある程度は増すものの、それにより安全なマンションに変わるのかというとそうでもないようです。基本的な構造は何も変わらないため、あくまでも「補強」に過ぎないということにようです。
そして何よりも問題なのは老朽化したマンションの「建て替え費用」です。つい数年前ですが、徳山駅ビルの建て替えのために旧駅ビルを解体撤去しました。その予算が当初は5000万円で計上されていたものが、夜間工事の中止や工期の関係などと様々な理由から解体撤去費用が嵩み、最終的に3億円を超えたのは論外としても、マンションの解体撤去にかなりの予算がかかることは想定しなければなりません。ちなみに宇部のグリーンホテル(徳山駅ビルの3倍ほどの規模の建物)の解体撤去費用は7000万円程度だったと聞いています。
それほどの巨費をマンションの解体撤去に投じて、その跡地に同規模のマンションを建てることが出来る経済力を現マンション居住者が持っていれば何も問題ありませんが、そうでない場合は退去者の地上権と土地の共有持ち分を「建て替えマンションの入居者」で買い取らなければなりません。
旧容積率で建てられたマンションなら建て替え時に増加した容積率分を旧マンションよりも多い戸数のマンションを建築して、増加した戸数の売却分を「建て替え」費用から差し引くことも可能です。しかし新・容積率で建てられたマンションは戸数が増加しないため、旧マンションの購入価格よりも「建て替え」費用の負担の方が高くなることを覚悟しなければなりません。
そうしたハードルを越えて「建て替え」が合意できなければマンションは老朽化したまま放置され、やがては自然と「廃墟」にならざるを得なくなります。
今後、飛躍的に居住耐用年数を超えるマンションが大量に出てくる時代を控えて、国は公的金融機関も巻き込んだ「マンション建て替え」制度や「建て替えファンド」などを用意する必要があるのではないでしょうか。若くしてマンションを購入された方も、高齢化に伴ってマンションの「建て替え」問題に直面することになります。
2018年 下松市の土地価格情勢
2018年度の公示価格が発表されました。下松市は全体では-0.31%の下落となっていますが、地域によっては上昇に転じるなど、人気の高い地域が土地価格の持ち直しを見せています。全国平均で土地価格は底を打って上昇に転じたといわれ、とくに大都市圏の商業地域の土地価格の上昇はバブル当時を思わせるモノがあります。しかし、それらの主要因は中国人を中心とした外国人投資によるもので、地方都市に波及するにはまだまだ時間がかかりそうです。
下松市の2018年公示価格で目に付いたのは人気の高い地域の地価上昇です。その例としては中央町が0.29%の上昇で、同じく桜町が0.61%の上昇、他にも美里町が0.51%の上昇となっています。
その反面、依然として地価が下落している地域で最も高い下落率を示したのは葉山一丁目で-2.16%となっています。次いで末武上、中でそれぞれ-1.94%,-1.40%を示し、生野屋南と西が-1.13%、-0.48%。次いで西豊井が-1.05%の下落で、南花岡が-0.81%と引き続き下落しています。
こうして見ますと、地価上昇に転じたところは新しく大規模道路が完成した周辺で、大型店舗が沿道に展開している地域でもあり、買い物に便利な「暮らしやすさ」を買われているようです。反対に依然として下落が止まない地域は買い物の利便性にやや難点のある地域に集中しているようです。
しかし難点は同時に利点でもあって、閑静な住宅地ということにもなりますので、「暮らしやすさ」は個々人の価値観によって変わることも考慮に入れなければなりません。つまり、いかなるライフスタイルを想定して住居を求めるのか、という個々人の主体的な考え方を元にして住む地域を決める必要があります。
「持家不要」論を考える。
経済評論家の上念司氏が「家やマンションを買ってはいけない」と主張しています。不動産を生業としている私たちにとっては由々しき発言だ、と思いながら続きを読みました。
上念司氏は「買ってはいけないモノ」として、まず「家やマンション」次に「自動車」で三番目に「時計」を上げています。なぜかというと、家は既に世帯数を上回り、日本では過剰となっていて、空き家率が全国平均で13%に達しているから、買うよりも処分する方が大変な時代になる、というのです。
(自家用)自動車は平均稼働率が極め低く、週末に乗る程度でしかないから維持・管理費を考えればレンタカーの方が安くつく、という説明でした。しかしそれは鉄路が網の目のように張り巡らされ、乗り遅れても2分と経たないうちに次の電車が来る大都会での話に限定されるのではないかと思えます。(腕)時計は確かに携帯やスマホで充分に代替できるし、街中にも時計表示は随所に溢れています。
さて、最初の「家やマンションを買ってはいけない」論を掘り下げてみれば、上念氏は「家は年齢や家族構成で必要とする形態が異なる、だから賃貸で生活して、人生のステージで必要とする家を選んで転居する方が合理的だ」として「家やマンションは資産ではなく、生き方を限定する負債でしかない」という論を展開されています。
確かに子育て期はある程度部屋数のある広い家屋が必要です。しかし子供たちが巣立って夫婦二人になれば、それほど広い家は必要ない、という論理展開には納得させられるものがあります。しかも少子化で「家余り」現象が全国的に起きている昨今、むしろ家を畳んで解体処分する必要性が高まっているのも事実でしょう。だが「家やマンション」は「自家用車」や「腕時計」と異なって、「持家」か「賃貸」かを問わず人としての暮らしに「家」は必要です。家がなければホームレスとして街を彷徨うしかなくなり、人としての社会性を否定されかねません。
人により「持家」派と「賃貸」派とに分かれるとしても、いずれも棲家を必要としていることに変わりなく、上念氏は「持家不要」論で不動産業者がこの世からなくなると言っているのではない、と安堵して筆を置きます。
「マンション」スラム化
昨年9月号などで「週刊現代」はマンションの悲惨な近未来予想図を「限界マンション」や「2033年マンションスラム化」という記事で毎週のように掲載して警告していました。いうまでもなく「限界マンション」とは「限界集落」さながらにマンション居住者の過半数が65才以上の人によって構成されるマンションを指すものです。そこでは世代交代や住居者の再生はなく、マンション住民の高齢化と人口減少が続き、やがてマンションの機能が崩壊して人が棲まなくなり放棄される、というものだ。
マンション機能とは入居者の暮らしを支えるエレベーターや配管などのインフラがキチンと維持・管理されて暮らしに支障のないことです。そのためには修繕積立金が不可欠ですが、支払いが滞ったり投資目的で購入したマンションなどは当初から管理組合に入るのを拒否したりする者がいたりして修繕積立金が不足するのは勿論のこと、居住者がいなくなって空家が増え、マンションのエレベータやエントランス掃除といった共用部分が荒れ果てることが懸念されます。そうすると棲むための居住性が著しく損なわれ、やがては「2033年マンションスラム化」の記事にある通りになる可能性がないとはいえません。
その論拠として日本では1970年代がインフラ投資のピークで、その耐用年数は50~60年程度とされているため耐用年数がやって来る20~'30年代に改修のピークを迎えます。しかし現状で修繕積立金が充分に積み立てられているマンションは極めて少ないようです。1970年代から80年代にかけて建設されたマンションは管理組合がマンション業者によって運営されているケースが多く、業者によっては管理費を本体事業に回して倒産するケースまであるようです。
さらに都心に陸続と建てられたタワーマンションなど7階を超える高層マンションでは外壁などの改修工事などで足場を組み立てることは不可能で、宙づりの足場を屋上から吊るす極めて費用のかかる工事を行うしかない、という問題もあります。しかもマンション購入者が賃貸にして入居者と所有者が異なるケースも多いことから、改修費の拠出をマンション入居者で話し合って合意形成を得ることは困難を極めると思われます。
耐用年数があるのは一戸建て家屋でも同じことで、家を快適な居住状況に保つには絶えず維持・管理を行わなければならなりません。家は一戸だけが孤立して存在するのではなく、地域社会の一戸として社会インフラや地域の治安や安全性を保たなければならなりません。マンションではそうした地域との繋がりさえも希薄になりがちで、一戸建てと比べて「近隣騒音」も含めた治安や安全性もマンション全体の「マンション共同体の一員」として対処しなければならない側面があります。鍵一つで他者から干渉されない「家」が持てる、というのは幻想に過ぎないことを理解し認識すべきではないでしょうか。一戸建て以上にマンションこそ壁一つで隣接する入居住民とのコミュニケーションが必要とされているようです。
「特定空家等」に指定される前に
この7月7日から8日にかけて、山口県東部も過去にないほどの豪雨に見舞われました。そのあおりか、いつも通っている道端の老朽家屋が二軒も崩壊しているのらは驚かされました。いずれも住人のない空家だったらしく、被災者はいなかったようです。
ただその一軒は崩壊した家屋の材木が県道の一部を塞ぎ、交通に支障が出ていました。このように人が棲まない空家は急速に老朽化し、自然災害で崩壊して類災を及ぼしかねない危険な存在になります。
こうした中、国により「空家等対策の推進に関する特別措置法」が平成27年5月に全面施行され、空家等の所有者又は管理者は、空家等の適切な管理に努めなければならないこととされました。
ー法に定める適正管理をしていない「空家」とは、
・そのまま放置すれば倒壊等著しく保安上危険となるおそれがある
・そのまま放置すれば著しく衛生上有害となるおそれがある
・適切な管理が行われていないことにより著しく景観を損なっている
・その他周辺の生活環境の保全を図るために放置することが不適切である
このような状態になると、市町は「特定空家等」と判断し、所有者等に除却、修繕、立木の伐採などを行うよう助言又は指導、勧告及び命令することができます。また、その措置を命じられた所有者等がその措置を履行しない場合、行政代執行により除却などされることとなり、その費用は所有者等に請求されることになります。当然代執行による家屋等の除却は「公共事業」価格となりますが、所有者が請求された除却費に対して異議を差し挟むことは出来ません。
また空家が市町から「特定空家等」として勧告を受けると、その敷地は固定資産税等の住宅用地特例による税の軽減がされなくなるため結果的に固定資産税が上がることとなります。
ですから空家が特定空家等に指定される前に適切な管理を行うとともに、今後住む予定がなければ売却・賃貸、除却等の対応を検討しましょう。それは空家に限ったことだけではなく、使用していない田畑や土地などを放置する前に信頼できる不動産屋さんに相談されてはいかがでしょうか。
土地を棄てる
土地がゴミのように捨てられる、といったら驚かれるかも知れません。都市部の人たちには考えられないかもしれませんが、山深い山間部や、街中でも三尺(幅90㎝)道しかない宅地は家の建て替えが出来ないため手付かずのまま放置された荒地が結構あります。そこで政府は「骨太の改革」で土地を棄てる権利と法手続きを法で制定しようとしています。
現在の法律では不要な土地であっても買い手が付くまで勝手に所有権を放棄することは出来ません。土地を合法的に棄てるには相続まで待って、相続放棄によって棄てる他に方法がないのです。
民法には「所有者のない不動産は、国庫に帰属する」(第239条)との規定がありますが、土地放棄の手続きを定めたルールはありません。そこで廃棄物処理のように、土地の所有者が一定額を納めれば放棄できる仕組みなどを検討すねことにしているようです。
ドイツの民法には「所有者が放棄の意思を土地登記所に表示し、土地登記簿に登記されることによって、放棄することができる」(928条1項)と明記されています。放棄された土地をまず先占する権利は「州に帰属する」(同2項)とも定められています。ただ放棄された土地は、どこかに所有させなければならない義務もないため、ほとんどは「無主地」として管理されるが、そのコストは行政が負担せざるを得ない。ドイツ国内でも地域によっては、無主地の増加による行政の負担増が問題になっているそうです。
日本でも相続放棄により棄てられた土地は国に帰属し、その土地を購入したい人は裁判所に申請して裁判氏をが定める「管理人」の下で競売に付し、落札することによって土地を入手できます。ただその手続きが非常に煩雑で専門家に頼まなければならないケースが多く、しかも土地の安い地方などでは管理人などの費用が土地の売却価格を下回ると想定されるため、申請者は事前に裁判所が決める供託金を積まなければなりません。
そうした煩雑さのためか国有地となった相続放棄地の払い下げが現実にはなかなか容易に進まないのが現状のようです。そうすると放棄された土地の草刈りなどの維持・管理など、ドイツと同じように日本でも「土地所有の権放棄」に関する法律が制定された場合には、固定資産税の減収と同時に放棄地に関する諸費用を何処が負担するのかが問題になりそうです。
土地の私有権と公共性について
土地の有効利用はいかにあるべきか、と真摯に日々考えているのは土地所有者だけではなく、行政も所有権者とは異なる立場で真剣に取り組んでいます。もちろん土地は財産の一つですが、地域の安全や景観や産業に大きく関わる公共性の高い財産です。土地ほど公共性のある、あるいは公共性を求められる財産は他に有りません。
土地の公共性に鑑みて、行政は工業地域や住居地域、あるいは商業地域などの「用途地域」を定めて、土地利用に関して様々な制限を行っています。ただ都市計画に基づき「用途地域」が定められたのは昭和40年代で、それ以降ほとんど見直しがされていません。見直しを求める声が少しずつ上がっているのも確かです。
しかし、昨今の土地利用に関して悲痛な声を耳にするのは「農地」です。土地利用に関して最も大きな制限は都市計画とは別の農業振興地域の指定です。その農振地域の中でもさらに地域内における集団的に存在する農用地や、土地改良事業の施行にかかる区域内の土地などの生産性の高い農地等、農業上の利用を確保すべき土地として「農用地区域」に指定されることがあります。農用地区域に指定された土地は、農業上の用途区分が厳しく定められ、原則としてその用途以外の目的に使用することはできません。農地に関してはこのように厳しい「規制の網」が被せられている場合があって、私たち不動産業者が扱う場合は慎重にならざるを得ません。
ただ時代が大きく変わって、いつまでも農地として土地利用を限定するのもいかがなものかと首を傾げざるを得ない地域がないわけではありません。農地法で土地利用を厳しく制限するのと裏返しにあった食糧管理法に基づくコメの全生産量買い上げ制度が崩壊して久しい昨今、農地に対する規制だけが厳しく残っている現状は高齢化した農地所有者に対しては余りに酷だと思わないでもありません。側聞するところでは自身が交錯できない農地を耕作委託する場合、タダなのは当たり前で反対に委託料を耕作者に反当り年間5万円程度支払う地域もあるようです。
農地も含めて、土地の有効利用と所有権とはどのようにあるべきか、そろそろ全般的な見直しを考えても良い時期ではないでしょうか。
「古民家ブーム」に一言
ブームなのか古民家の売買物件を紹介して欲しい、という依頼を受けることが稀にあります。お話を伺えば購入した古民家にそのまま住むのではなく、手を入れ古民家の風合いを残しつつ冷暖房やキッチンやバストイレなど設備を最新のものにするようです。ただし、天井などを取り払い地松の梁や四寸柱などはインテリアも兼ねて見せるように、とか。
そうした古民家をリフォームして蘇らせる、という趣旨のテレビ番組が古民家ブームを煽っているようです。しかし好事魔多しと言います。古民家は文字通り「古い民家」で、現在の耐震基準を満たしているとは思えないものばかりですし、購入者も生活スタイルに拘るあまりリフォームに際して耐震構造を取り入れることも殆ど考慮に入れられてないようです。
それだけではなく、かつて社会問題となったリフォーム会社に一部不心得な業者がいることも事実で、中には建設業許可を得ていないリフォーム会社もあるようです。建設業法で建設業許可がなくても請負うことのできる工事は「軽微な工事」と「附帯工事」に限られています。つまり建築リフォームなどを請負い、施工することも建築業者の許可がなくても可能です。
この場合の軽微な工事とは2つに分けられます。建築一式工事では工事1件の請負代金の額が税込1,500万円に満たない工事または、延床面積が150㎡に満たない工事とされています。建築一式工事以外の工事(例えば高さ2メートル未満の擁壁工事や造成工事など)では工事1件の請負代金の額がぜ税込み500万円に満たない工事は無許可建設業者でも出来ることになっています。
ただし、軽微な工事であって建設業許可を取得していない場合は主任技術者を配置する必用はありませんが、軽微な工事であっても、当該業種の建設業許可を取得している場合は、主任技術者を配置する必用があります。つまり建設業者許可業者は主任技術者を現場に配置する義務があります。許可業者の方が安心なのは改めて指摘するまでもありません。
注意すべきは建設業許可の取得が不要な工事でも、他の法律により行政庁への「登録」が必用な工事がありますので注意が必要です。
1,浄化槽設置をする場合・・・浄化槽工事業登録
2,解体工事を営む場合・・・・解体工事業登録、ただし、建設業許可のうち「土木工事業」「建築工事業」「とび・土工・工事業」の許可を取得している場合は不要です
3,電気工事を行う場合・・・ 電気工事業登録
古民家ブームの落とし穴に落ちないように、古民家購入に際しては宅建業者にリフォーム計画なども相談して、許可建設業者を紹介してもらうい、耐震構造に改築するなどした方が安心だと思います。まずは古民家ブームに対する老婆心ながら。
住みよい街ランキング
東洋経済新報社が全国の都市を対象に毎年公表している「住みよさランキング」というものがあります。「住みよさランキング」とは、公的統計をもとに、それぞれの市が持つ“都市力”を、「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」の5つのカテゴリーに分類し、ランク付けしたものです。ランキングの算出には15の統計指標を用いて、指標ごとに平均値を50とする偏差値を算出、それらの平均値から上記5カテゴリーの部門評価および総合評価を算出しています。 今回の対象は、2017年6月19日現在の814都市(全国791市と東京23区)で、全都市を対象としたランキングは24回目となります。今年の「住みよさランキング」総合評価1位は千葉県印西市、2位が富山県砺波市、3位が愛知県長久手市となり、2012年のランキングで1位となった印西市が今回で6年連続の1位となりました。 印西市は千葉県の北西部、東京都心から約40kmの位置にあって、3市にまたがる千葉ニュータウンの面積の過半を占める住宅都市です。人口は2015年国勢調査で約9.2万人。東京と成田国際空港を結ぶ交通軸上にあって、2010年7月の成田スカイアクセス線の開業により、成田空港はもとより、東京都心や羽田空港へのアクセスも良好という好条件に恵まれています。市内には多数の大型商業施設が進出し、また大学や企業の研究開発拠点、金融機関のデータセンター等も集積しています。「利便度」の3位をはじめ、「快適度」12位、「富裕度」58位、「住居水準充実度」199位と5部門中4部門の評価が相対的に高く、今年もトップの座を譲りませんでした。 なお、印西市は東京区部の20%通勤圏であり、補正の対象となる「人口当たり小売業年間商品販売額」の指標において、補正を実施(東京区部の数値を採用)しています。
さて下松市の2017年のランクは2016年の18位から順位を落として30位でした。評価として安心度と居住水準充足度の評価が高かったものの、利便性で大きく劣って順位を落としたようです。ちなみにトップ50に山口県から入ったのは下松市のみで、中国・四国ブロックでも下松市が1位でした。
私たちの街が住みよい街としてトップ30にランク・インしているのを名誉として、不動産を業とする者として来年度は一位でもランクを上げて、住みよい街づくりの一助になればと努力していきたいと思います。
「死有地」の解消について
土地の取得に関して、通常の売買による所有権移転以外に時効取得があります。土地取得時効とは民法162条で定められ、所有の意思をもって平穏かつ公然と他人の物を一定期間占有した場合、土地や不動産の所有権を時効によって取得できる制度のことで、長期取得時効は20年間、短期取得時効は10年間(※ただし占有開始時に善意かつ無過失であること)、それぞれ所有の意思をもって平穏かつ公然に他人の物を占有した場合に認められています。
所有権以外の財産権を取得する場合については、民法163条によって規定されています。所有権以外の土地に関する権利は普通の人には馴染みが薄いでしょうが、地上権や地役権などがあります。そうした所有権以外の財産権を自己のためにする意思をもって平穏かつ公然に20年または10年これを行使することで取得できる、と定めています。その20年、10年という期間の違いは所有権の場合と同様に、占有を始めたときにそれが他人の財産権であると知っていれば20年で、そうとは知らず、知らないことについて過失がないならば10年となっています。
昨今、世間で問題になっているものに土地登記簿上の所有者が既に他界されて、「死有地」のまま放置されている土地や家屋の取り扱いに関してがあります。それは相続財産の処分については相続人すべての同意書が必要とされ、かなりの困難を伴うからです。そこで国会で「死有地」に関して、10年を基準にして相続人の権利を限定していこうとする議論が始まっているようです。
国籍に関しては米国などは「現地主義」を採用していて、米国で生まれた子供は自動的に米国籍を取得します。ですから日本人が米国で出産した場合、子供は日本籍と米国籍の二重国籍となりますが、二十歳の時に自身の意思でどちらかの国籍を選択することになります。 そうした「現地主義」と同様に土地に関しても「租税負担主義」を採用してはどうかと考え、提案したいと思います。相続人に名義が変更されていない場合でも「死有地」の固定資産税などは市町村の課税課で居住者や管理者等の現状等を勘案して納税者を定め、納付書を送付しています。そうした不動産を管理し租税を10年以上も平穏に納付した者を不動産の所有者とみなして登記簿の名義を変更できる、とする規定を設けてはどうでしょうか。不動産を業として営む者として、実質的に不動産に関する租税負担を支払っていた者も他の相続人と同等の権利しかないという理不尽さを一日も早く解消して頂きたいものです。
29年の公示価格と下松の景気
昨日、全国の公示価格が発表されました。下松市の公示価格は2000年から18年間連続マイナスを記録しています。昨年の下げ幅は-1.52と地方が下げ止まって上昇に転じた中で、まだ下げ続けているのはなぜでしょうか。
下松市の公示価格が上昇率最大を記録したのは平成元年の60.09%で、当時の総平均公示価格坪単価は28万3805円でした。昨年の総平均公示価格では坪単価14万5007円でした。まさに土地価格はバブル当時の半値まで下落しました。
たた山口県内でも柳井市などが地価下落から4.74%の上昇に転じています。下松市も近々上昇に転じると思われます。
土地価格の変動は景気を反映するといわれていますが、また土地価格が上昇に転じなければ土地取引が活発にならないという因果関係があります。価格が下がるのなら安くなるのを待とうという心理が働くためです。
土地取引が増えれば新築着工件数が増えて、家に関する家具や家電製品の売れ行きを喚起します。そのように地域経済に大きな影響を与える土地取引が活性化するためにも地価の動向が気になります。公示価格の推移を見ますと、下松市は今年あたりが底で、来年から上昇に転じるのではないかと思われます。来年あたり下松市全域の経済が活況を呈するものと期待します。
中心市街地は動く
駅前が寂れたことなどから、誰も中心市街地がいつまでも町の中心地だと思う人はいないと思います。それは下松市のみならず全国各地の駅前通りがシャッター通りになっていることから推測されるからではないでしょうか。
駅前の繁華街が地盤沈下したのは鉄道から自動車へと移動手段の変化に伴って現れた現象です。下松市に例をとってみますとかつて花岡八幡宮の門前宿場町がこの町の中心市街地だったようですが、戦後に国道188号線に沿った鉄路が山陽本線となり沿海部に大工場が立地したことに伴って、下松市の中心地が内陸部の花岡から海岸部へ移りました。
その後、大規模商業施設の進出により大手町周辺へ中心が移動し、さらに中央沿線に商業施設が展開し、その後も中央線周辺への商業施設の進出が続いて中心市街地は徐々に移りました。現在も道路沿線の面的整備から地域全域が発展し続けています。そうした動きに押されるようにして「ザ・モール周南」からyou
me townへと衣替えしようとしています。これも一つの時代の終わりと、次の時代の幕開けではないでしょうか。
従来の「中心市街地」に拘泥して中心市街地を固定的に捉えるのは時の流れに棹差すものではないでしょうか。駅前市街地に感じる「懐かしさ」は懐かしさとして大事にしながら、新しい時代の要請を満たすべく対応していくのが私たち不動産業に携わる者の務めではないかと思います。
中心市街地は時の流れとともに動くものだと心して、中心市街地に蘇生術を施したい気持ちも分かりますが、市民の税を無駄にしないようにしなければならないと思います。お隣では駅に図書館を設置してブックセンターとコーヒーショップを併設すれば中心市街地が蘇るのではないかと莫大な投資をしているようですが。
平成と共に来たり、平成と共に去りぬ
今年早々のビッグ・ニュースはザ・モール周南が広島に本社のあるスーパー「イズミ」に身売りして「you meタウン」に衣替えするということではないでしょうか。いうまでもなくザ・モール周南は通商産業省(現・経済産業省)の「特定商業集積法」第1号認定を受けて下松市などが中心となって整備した商業・文化集積施設「下松タウンセンター」の商業施設として、1993年(平成5年)11月5日に[1]旧日本石油精製下松製油所末武貯油所跡に開店したショッピングセンターです。施設は西友ザ・モール周南店(西友としては中国地方唯一の店舗)、ザ・モール周南専門店街、食遊館、および下松商業開発が運営する地元商業者による41店舗の専門店街「星プラザ」により構成され、「星プラザ」の営業時間・店休日は西友、ザ・モール周南専門店街と異なる。建築面積17,000m2に鉄筋コンクリート造り5階建て延床面積77,666m2の建物で、1階から3階までが売り場で、4階・5階と屋上が駐車場となっています。
開業当初は光・下松・徳山などを中心とする周南広域圏を商圏とする地域商業の核施設として大いに賑わったものです。しかし直近に「サンリブ・マルショク」が開店するなど、新しいショッピングセンターやショッピングモールなどが相次いで開店し、ザ・モール周南にかつての勢いがなくなり、撤退したテナントの空き店舗跡が目立つようになっていました。
しかし下松市で消費される個人消費額・商業パイが減少したわけではなく、下松市のすべての商業施設の売上高の総額は現在でも増加傾向にあると思われます。ただ同一商圏内でのパイの奪い合いが消費増加を大幅に上回っていることにあるのではないでしょうか。つまりフランスの経済学者ビケティが著した「21世紀の資本論」で述べている「資本の利益率は労働利益率を上回る」という理論そのものが下松で顕在化したということではないでしょうか。
日本国内は明治維新直後に断行された廃藩置県により全国一律の「グローバル化」がなされ、消費者の移動の自由はもとより、全国一律の法適用により「ヒト、モノ、カネ」が行政区分を越えて自由な移動が保証された、つまり日本国内だけを考えれば幕藩体制の各藩の諸制度が日本の国家支配による一元化により「グローバル化」が達成されていました。そして最後の大資本の参入障壁だった「大店法」が撤廃されたことにより、大型店舗が自由に出店できるようになりました。
グローバル化とはこうした同一制度下での弱肉強食社会ということではないでしょうか。それを世界規模で実現しようとしているのがTPPやFTAということなのでしょう。私たち不動産業者も地域プレゼンスのない、まさにグローバル化された商圏で競い合っています。ザ・モール周南は平成の幕開けとともに開業し、平成の終焉とともに閉店することになりました。しかし私たちはピケティ氏の「新資本論」の論理によって大資本に凌駕されないように、下松の地域不動産業者として頑張っていくしかないと思うこの頃です。
沽券について
不動産業者として関係の深い土地の所有(権)について日本の歴史を少しばかり辿ってみたいと思います。 日本で土地の私有権が認められたのはかなり昔からだったようです。中学校の歴史で学んだように奈良時代の前期に「三世一身法」(723年)また聖武天皇の時代に「墾田永年私財法」(743年)などは土地私有を認めている証拠になります。 その土地に関して「沽券」と呼ばれるようになったのは平安時代に入ってからのようで、そもそも沽券とは「去り状」「避文」(さりぶみ)のことで、手許から離れることを表していたようです。それが土地を売買して所有権が移転する際に文書として「沽券(こけん)」を書いて、所有権が自分の手許から離れたことを証文として残したのが始まりで、後に「沽券」が土地の「権利証」のような扱いを受けたようです。 江戸時代になると東海道中膝栗毛に「沽券」は登場し、現代の「権利証」(不動産登記情報)と同様な扱いを受けていたようです。ただ当時は現代のような登記役所(法務局)がなかったため、土地を巡る争いは絶えなかったようです。 ちなみに「沽券に関わる」という言い方は体面や品位を汚すことに対する教示を示す言い方で、男性にだけ用いられていました。土地の所有権者の多くが男性だった当時の常識を反映したもののようです。
ブログ始めました
十年一昔といいますが、下松市で不動産業を始めて十年が経過しました。これも皆様方のお蔭と感謝いたしています。今後とも精進してより良い住宅地のご提供を行い、皆様方のより良い人生のステージを築くお手伝いが出来ればと願っています。何卒宜しくお願い申し上げます。